
JFMA 副会長・フェロー
EuroFM日本大使、日本オフィス学会 会長
株式会社松岡総合研究所 代表
まつおか としあき
本稿では、ハイブリッドワークに取り組むオランダのFM事情について紹介したい。新型コロナウイルス感染症が収束し、日本でもワークライフバランスが大きく変化した。在宅勤務と出社を組み合わせたハイブリッドワークが主流となった今、本社におけるワークプレイスの見直しが急速に進んでいる。すべての社員の席を用意する必要がなくなった今、固定席を持たない「フリーアドレス」という方式を導入している企業も多いのではないだろうか。実は、この「フリーアドレス」という考え方は日本企業が生み出した和製英語である。英語では「ノンテリトリアルオフィス」と呼ばれ、テリトリーを持たない働き方として米国を中心に展開された。この考え方をよりシステマティックに欧州で広げたのが、「ActivityBasedWorking(以下、ABW)」と呼ばれる働き方である。この取り組みが最も進んでいる国のひとつがオランダである。
ABWのコンサルティングを提供する「Veldhoen+Company(以下、V+C)」という企業がある。V+Cは1989年、オランダで創立された働き方(ワークスタイル)およびワークプレイス(オフィス/働く場)の戦略・設計コンサルティングを行うグローバル企業だ。ABWという働き方・ワークプレイス概念のリーディングカンパニーとして、彼らは数多くのグローバル企業の働き方改革やオフィス改革に携わってきた。
では、なぜオランダなのか。実は、オランダがハイブリッドワークの中心的存在である理由は、テレワークへの取り組みの早さにある。他国に比べて1980年代からインフラ整備が進み、1990年代にはリモートワークが始まっていた。在宅勤務の推進や労働時間の見直し、女性活躍への対応、そして通勤手段としての自転車通勤の奨励(アムステルダム市内では車道と歩道の間に自転車道がある)など、働き方改革の進展は日本の比ではない。その結果、「WorldHappinessReport2023(UN)」によれば、オランダの幸福度ランキングは第4位、日本は51位である。人の幸せを中心に据えた働き方を推進するオランダの取り組みは、日本にとっても多くの示唆を与えてくれるだろう。
今回、1990年代からハイブリッドワークに対応した本社改革に挑戦してきたV+Cのマネージングパートナーであり、グローバルオペレーションリードでもあるLucKamperman氏に話を聞いた。彼らの考え方はこうだ。まず、ワーカーの働き方(アクティビティ)をいくつかの類型に分ける。たとえば、集中作業、ディスカッション、リラクゼーション、ウェブ会議など。それぞれの働き方に対応するワークプレイスをデザインし提供する。そして、それらを効率的かつ効果的に使いこなすためのアプリケーションを用意する。
Luc氏によると、「ABWは『アクティビティ・ベースド・ワークプレイス』ではなく、『アクティビティ・ベースド・ワーキング』なのだ。ワークプレイスの形を変えるだけでなく、働き方そのものを変えることだ」と強調する。すなわち、ABW≠ActivityBasedWorkplaceである。さらに、働き方の変革を実現するために、彼らはチェンジマネジメントのコンサルティングも実施しているという。



彼らが手がけた最近のプロジェクトに、PwCアムステルダムがある。PwCはご承知のとおり、世界的な会計事務所であり総合コンサルティングファームである。オランダ拠点として約7,000名が働くアムステルダムの自社オフィスがあり、近年大規模改修を行い、2025年に完成した。このオフィスこそ、ABWを導入して変革を遂げた代表例である。
会計事務所には、一般企業と異なり「パートナー」と呼ばれる株主代表社員が存在し、彼らが経営責任を負う。すなわち、パートナーとは経営者そのものであり、大企業の社長クラスの人々が意思決定を担っている。税務・監査・コンサルティングなど各部門にパートナーが配置され、強力な権限をもってクライアントサービスを提供している。驚くべきことに、PwCアムステルダムではそのパートナーの個室をすべて廃止したという。全ワーカーのアクティビティを分析し、新しいワークプレイスを構築。ヒエラルキーを超え、部門を超えてチェンジマネジメントを実施した。その結果、知の交流が生まれ、すべてのワーカーが高いホスピタリティを感じられるようになった。その象徴が、誰もが公平に利用できる1階のフードコート(社員食堂)なのである。
ワーカー同士、あるいはクライアントを招いてこの食堂に集い、素晴らしい食事を楽しむ。このような食堂の機能を社会学者ロナルド・バートは「人的ネットワークの『構造の穴(structural holes)』を埋める仕組み」と呼ぶ。この「構造の穴」を埋めることこそ、イノベーションの源泉であるという。つまり、組織内のAネットワークとBネットワークの間には「穴」が存在し、それがあるために両者はつながらない。つながらなければ知の交流は起こらず、情報が閉じてしまう。その穴を埋めるのが「仲介者」である。だが、誰がその仲介者なのかは、実際に話してみなければわからない。こうした出会いは偶然によることが多く、いわゆる「セレンディピティ(偶然の出会い)」が重視される所以である。もっとも、実際には偶然ではなく、そうした人物は組織内のどこかに必ず存在している。重要なのは、出会いを促進する場づくりである。その役割を果たすのが「社員食堂」なのだ。
近年、日本でもコロナ以降「社食」の見直しが始まっており、さまざまな飲食サービス形態や提供方法が検討されている。PwCの事例はその好例であり、その背景にはオランダ流の「ホスピタリティFM」が流れている。
オランダのFMは「ホスピタリティFM」と呼ばれる。これは、ホスピタリティ(おもてなし)サービスを重視したFMを実践しているという意味である。具体的なファシリティとしては、病院(ホスピタル)やホテルが代表的であり、ソフトサービスを中心に人間中心の手厚いおもてなしの精神に基づいたFMサービスが展開されている。もっとも、人的サービスだけを重視しているわけではない。先進的なIWMSを提供するPLANON社や、世界有数の電機メーカーPHILIPS社などもオランダの企業である。つまり、ソフトサービスを支えるために先進テクノロジーも組み込まれているのだ。PwCアムステルダムでは、BEMSと連携した空調・照明制御や人流可視化、ロッカー予約システムなどがスマートフォンツールで提供されていた。
このように、独自の文化に根ざしたFMサービスをシステムとして展開し、ワーカーの幸福度を高めつつ、企業組織の生産性を維持している。すなわち、エンゲージメントを高めているのである。実際、PwC本社オフィスの出社率はおよそ60%程度。月曜日と金曜日は在宅勤務が多いという。ただ、訪問した火曜日の食堂は満席で、楽しそうに会食している様子が印象的だった。まさに、ネットワークの「穴」を埋めていたのかもしれない。
