自然環境計画課 生物多様性主流化室
-自然資本に立脚した企業価値の創造- これは当省を含む関係省庁が一体となって推進する「ネイチャーポジティブ経済」の実現に向けた重要なコンセプトである。
自然資本の定義はさまざまだが、森林、空気、水、土地、鉱物等の他、生態系の健全性や生物多様性も自然資本の質を表す例として列挙される。企業は、この自然資本に加え、財務資本や人的資本等のリソースを駆使し、製品やサービスの提供等をはじめとする企業活動を通じて社会に新たな価値を生み出し続ける。
また、自然資本はあらゆる企業の事業活動を支える基盤であるとともに、私たちの暮らしも支えている。例えば、健全な生態系を有する森林が、木材や食料の供給機能に加え、当該森林が位置する流域における土砂災害の抑制や水源涵養など、公益的な機能も果たしている。こうした自然から得られる恵みのことを生態系サービスという。その自然資本・生物多様性が現在世界的に損失傾向にあること、すなわち経済社会の根幹を揺るがす危機的な状況が迫っていることをご存じだろうか。
この状況に対し、経済界においても自然資本・生物多様性と経済活動の関係を見直そうという動きが活発化している。情報開示をはじめとした取り組みを通じて、自然関連のさまざまなリスクに対処し、またビジネス機会につなげていくことで、自然資本を保全しつつ企業価値を創造しようとする動きだ。環境省としてはこうした企業経営の変革を促すべく各種施策を展開しているところ、特にファシリティマネジャーの皆さまに関連する内容を中心にご説明したい。
生物多様性の現状は、どのように評価をされているのか。IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)によると、世界の陸地の75%は著しく改変され、海洋の66%は複数の人為的な要因の影響下にあり、1700年以降湿地の85%以上が消失し、また調査されているほぼ全ての動物、植物の約25%の種の絶滅が危惧されているなど、過去50 年の間、人類史上かつてない速度で自然が変化していることが指摘されている1)。なお、同報告書では、生物多様性損失の直接的要因を、①陸と海の利用の変化、②生物の直接的採取、③気候変動、④汚染、⑤外来種の侵入と特定している。
WEF(世界経済フォーラム)は、世界の総GDPの半分以上(44兆ドル)もの経済的価値創出が自然に強く依存している分析結果を公表し2)、今後10年間の間に起こりうる影響(深刻さ)の2番目に大きなリスクとして「生物多様性の損失と生態系の崩壊」をリストアップしている3)。リスクの具体例としては、外来種の非意図的導入、森林火災、水質汚染などに対して適切に対応しなかった場合に生じ得る財務的損失等が想定され、Bloomberg NEFは、自然との不適切な関わりにより財務的損失を被った実例(株価下落、訴訟、罰金、事業計画(工場建設)中止等)を収集し、公表している)
本寄稿文をご覧いただいているファシリティマネジャーの皆さまの中には、自然との接点が近い方もいれば、どのように関わっているのか瞬時には判断がつかない方もいると想像する。しかし、自然の営みなしではわれわれは水一滴手に入れることもできない。どんな施設であっても、立地に当たっては何等かの土地の改変を伴うように、全ての事業者は遠かれ近かれ間違いなく自然との接点があり、またリスクと無縁であることはない。
こうした状況に対し、劣化・損失傾向にある自然の状態を回復軌道に乗せる「ネイチャーポジティブ」という概念が、国内外で急速に拡がりつつある。これは、2022年に生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)第二部で採択された世界目標「昆明・モントリオール生物多様性枠組」における2030 年ミッションのことを意味しており、23個のグローバルターゲットとともに定められた。さらに2023年には、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)によって開示枠組の提言が発行された。TNFDの開示枠組では、ビジネスによる自然関連課題(依存・インパクト、リスク・機会)とそれに対する企業の対応について、気候関連財務情報開示(TCFD)と整合した4つの柱(ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理、測定指標とターゲット)の開示を推奨している。これにより、企業の経営基盤・レジリエンスの強化を図るとともに、投資家・市場が、開示内容に基づいて投資や購買を行うようになるという仕組みだ。
こうした国際動向も踏まえつつ、わが国では「生物多様性国家戦略2023-2030」を閣議決定し、その中の基本戦略の一つとして「ネイチャーポジティブ経済の実現」を位置付け、2024年3月には環境省、農林水産省、経済産業省、国土交通省が連名で「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」を取りまとめた。本戦略では、ネイチャーポジティブの取り組みが、企業にとって単なるコストアップではなく、自然資本に根ざした経済の新たな成長につながるチャンスであることを示し、ネイチャーポジティブ経営(自然資本の保全の概念をマテリアリティに位置付けた経営)への移行に当たって企業が抑えるべき要素、並びに国の施策によるバックアップを記載している。さらに2025年7月、ネイチャーポジティブ経済移行戦略を踏まえ、国の施策を主軸として「いつまでに、何をすべきか」の全体像をロードマップとしてとりまとめた。

さまざまなセクターにおける企業や金融機関がネイチャーポジティブの概念に共感し、具体的なアクションに踏み出そうとしている。2025年10月21日時点では、ネイチャーポジティブ宣言をした企業・団体数は1,021団体(企業以外にも地方公共団体等も含む)、TNFD Adopter )は208社と世界最多(世界で701社が表明)であり、機運の高まりがこうした数値にも表れている。
一方、自然関連のリスク・機会への対応が、目に見えて成果が発現している事例は限定的であるため、その重要性は理解しつつもアクションに踏み切れない企業も多くいる状況だ。そのため、環境省ではネイチャーポジティブ経営への移行が企業価値向上につながることを確立・浸透させるべく、「ネイチャーポジティブを通じた企業価値向上までのストーリー集(仮称)」の制作に着手している。具体的には、機会創出による持続的なキャッシュフローの増加や、適切なリスク管理による資本コストの低減・最適化が図られている事例を分析し、そのエッセンスを整理することで、特に企業の経営企画セクションの方々にも刺さる成果を目指している。平行して、企業による自然関連課題の分析に活用できる「ビジネス分野別リスク・機会ロングリスト」の制作にも着手している。これは、自然への依存と影響度、産業規模の観点から食料・農林水産関連分野、建設・インフラ関連分野、製造関連分野の3分野について、TNFDやWBCSDが発行しているガイダンス等で整理されたリスク・機会及び対応策等(例えば、汚染物質の流出に伴う水質浄化コストの発生リスク、グリーンインフラ導入による生態系サービスの強化及び冷房コストの低減といった機会など)についてを分野別に構造化したリストで、自然関連課題の分析の初期プロセスを簡便化することを企図している。さらに、企業のネイチャーポジティブな取り組みを資金の流れの観点からも後押しすべく、金融機関・投資家を対象として「投融資におけるネイチャーポジティブ配慮指針(仮称)」の検討も開始した。
また、自然資本は地域に紐づくものであることから、環境省では、2023年から民間の取り組み等によって生物多様性の保全が図られている区域(例:工場緑地、社寺林)を「自然共生サイト」として登録を開始している(2025年10月21日時点で、計448か所を登録。なお、2025年4月には農林水産省、国土交通省と共管の地域生物多様性増進法を施行し、本取り組みを法制化)。第三者に当たる企業等が自然共生サイトの活動を支援した内容を公的に認定する支援証明書制度や、支援に関するマッチング、その他補助金の拡充等を通じて活動を支援している。本登録をきっかけとしてサイトの自然環境の改善を図り、対外的な発信や地域とのつながりを強化していく動きもみられる。

こうした企業による取り組みを、マルチステークホルダー(地方公共団体、学術研究機関、保全団体、住民等)との連携により、地域課題の解決や地方創生等の「ネイチャーポジティブな地域づくり」へと発展させるべく、モデル創出に向けた事業も開始した。
このように、環境省ではTNFD等国際動向もきっかけの一つとして、企業が自然を保全し又は持続可能な利用をすることで適切な資金の流れを生み、また、ネイチャーポジティブを踏まえて創出された製品・サービスの価値が評価される消費行動や地域での活動が展開されることでネイチャーポジティブ経済の実現を目指している。
ファシリティマネジメントに取り組まれる皆さまは、オフィスや工場、公共空間等の施設とその周辺環境を総合的に管理されるお立場であることから、まずその施設が位置する地域の自然との関係を確めていただくことを提案する(ツールとして、環境省では「生物多様性見える化マップ」をご用意している6))。
自然は、気候変動対策とは異なり場所に応じてその特性が異なる。原生的な自然環境から、里地・里山、都市緑地まで、その形態も重要性もさまざまだ。また、ある場所における影響を他の場所の回復等で真に相殺することはできないことや、生態系のネットワーク性が重要であること等の特徴もある。特に、河川流域のように、事業活動の影響が下流域にも及ぶ場合や、地下水を共同利用している場合には、その自然に依存している共通のステークホルダー間での対話も重要となる。
施設や土地に紐づく事業活動を支えていく観点では、その土地ごとに性質が異なる自然関連リスク・機会をまず把握することが重要である。さらに、そうした要素が経営にどのように影響を与えるのかをナラティブに分析し、事業活動の持続可能性を高めるように導くことが、ファシリティマネジメントの観点から取り組めることではないだろうか。
